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月, 2004-06-14 16:00
最近、「スケベニンゲン」という言葉がどうもツボです。
そのインパクトというか、深みというか、ずしりとくるものがあります。
スケベニンゲン、それは「エロい人」なのか。
いや、スケベニンゲンという言葉には、「自他ともに認める」というような文脈が読み取れるので、内に秘めたエロさのキャパシティよりも日々の生活においてどの程度実践的にスケベ活動を行っているか、という点に重きがあるような気がします。
「遊び人の金さん」という表現に近いあれかも知れません。
スケベニンゲンの追い求めるもの。それは一言で言うなれば「いい思い」でしょう。
スケベニンゲンはなんとか「いい思い」をするため今日もがんばっています。
「いい思い」は「いい思い」だからこそいいんです。「いい思い」だからこそ真実なんです。そんな「いい思い」、したいと思わない?
しかしながらスケベニンゲンの求めるテーマは少し視点を変えるだけで途端に「つーかどうでもいいし、むしろ汚らわしい、しんでほしい」といったパラダイムシフトが起こりうるという脆さと常に背中合わせでもあります。ああスケベであることの恍惚と不安ともに我にあり、といったところでしょうか。また対外的にもスケベニンゲンは羨望と侮蔑の両方を引き受けることになりましょう。
この道を行けば、どうなるものか。スケベなことが、できるのか。しかし日々のたゆまぬ努力の末、時にはたくさんお金を使って「いい思い」をしたとしても、本当は意味なんて無いかも知れない。これっぽっちも!
もう沢山だ・・・・・・・・・!!!
もうこりごりだ・・・・・・・・・!!!
幾度もそう思ったはずなのに――(略
なんか話が変になってますね。なんか違いますね。
本来スケベニンゲンたるものある程度のほほんとしているものでしょう。そういうイメージがあります。
「あぁ、スケベっていいなぁ。幸せだよ俺、みんなこっちこいよ縲怐v
みたいな所でしょう。
こうしてみるとただのアホではないかという気もしてきますね。
まあ、かようにスケベニンゲンをとりまくロジックは一概には割り切れないミステリアスな様相を呈しています。
というかまあ単純に言葉が面白いということでもあります。
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