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月, 2003-08-11 14:28
ねむいときのメモ お盆編
ホラーにまつわるいくつかの事柄
「恐怖」自体は多くの人にとって普通嫌なことだが、同時に同じくらい魅力的なものでもあるようだ。少なくとも体験終了権限が自分にある状況下に置いてはそれは娯楽としても機能する。
恐怖体験は一種の心理的な人体実験と言ってもいいかもしれない。恐怖の魅力もその実験への好奇心や、得られる成果によるものが大きいだろう。
何を持って人間は、自分は、恐怖を感じるのか。恐怖に対して自分の心はどういった反応を示すのか。恐怖の正体は何なのか。このような根源的な探求が可能である故にホラーはそれ自体哲学的な要素を含み、他の哲学的なテーマとも相性がいい。と思う。
ホラーファンには即物的な恐怖を求めるマゾっけなファンの他にこのような哲学的探求を求めるファンも多いので哲学的なテーマを重視したホラー作品には名作と呼ばれるものが多い。のではないか。
それは「二度おいしいからだ」とも言えるが、ホラー要素と哲学要素は互いに似た性質のものであり、相乗効果を持っているのではないかと推測される。
哲学的なテーマを重視した作品にはホラー作品でなくともホラー作品の鑑賞と良く似た心理作用を持つものがある。例えば良質なSFとか。
物語の先に重要な「何か」がありそうな感覚。重要なアイデア、秘密、ヒント。認識世界をくつがえすもの。「リアル」にダメージを与えるもの。それら明かされてはいけないものが明かされようとする過程は恐怖と快感を含む体験となり、高揚感が得られる。
(大概の場合そうであるように)それらがハッタリであっても、だ。
あと、幽霊の話や怪談が好き、あるいは幽霊を見たとか言ってしまう人は、そのことが意味することにもっと意識的になるべきではないだろうか?
本当にそれを見てしまったとしたら…、それは今まで自分が築いてきた現実世界の崩壊を意味するのだろうから。
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